佐伯の生涯

佐伯祐三略年譜
佐伯祐三作品
1898年

1898(明治31)

4月28日、大阪府西成郡中津村(現在の北区中津2丁目)の浄土真宗本願寺派光徳寺の次男として生まれる。幼名秀丸、父は祐哲ゆうてつ、母はタキ。

1912年

1912(明治45・大正元) 14歳

4月、大阪府立北野中学校へ入学。野球・水泳・ヴァイオリンに興味を持ち、ずぼらな性格から「ずぼ」とあだ名された。

北野中学野球部時代の佐伯(左から二人目)
1915年

1915(大正4)17歳

4年生頃から油絵を描き始め、赤松麟作りんさくの洋画塾に学ぶ。父から医者になることを期待されたが、画家を志望する。

1917年

1917(大正6)19歳

3月、北野中学校を卒業。上京して川端画学校で藤島武二の指導を受ける。秋には岡田三郎助の本郷洋画研究所に学ぶ。

1918年

1918(大正7)20歳

4月、東京美術学校西洋画科予備科に入学。秋には本科に進級、長原孝太郎にデッサンを学ぶ。

1919年

1919(大正8)21歳

池田米子と知り合う。米子は銀座の象牙細工問屋兼貿易商の娘で、川合玉堂に日本画を学ぶ。

1920年

戸山ヶ原風景 (1920)

戸山ヶ原風景

油彩,カンヴァス
50.0×60.5cm

大谷セイ像 (1920頃)

大谷セイ像

インク,紙
21.0×16.0cm

帆船 (1920頃)

帆船

油彩,板
23.4×33.0cm

1920(大正9)22歳

9月1日、父祐哲死去。

光徳寺での父祐哲の葬儀にて

11月、池田米子と結婚。

築地本願寺での米子との結婚式
1921年

1921(大正10)23歳

豊多摩郡落合村字下落合(現在の新宿区中落合)にアトリエ付きの家を新築。
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3月、弟の祐明が死去。体調を崩して3ヶ月休学、軽い喀血を起こす。

1922年

目白自宅附近 (1922頃)

目白自宅附近

油彩,カンヴァス
37.0×52.0cm

1922(大正11)24歳

2月、長女の彌智子やちこが誕生。

1923年

河内打上附近 (1923)

河内打上附近

油彩,板
24.5×33.7cm

河内燈油村附近 (1923)

河内燈油村附近

油彩,板
24.4×33.6cm

彌智子像 (1923)

彌智子像

油彩,カンヴァス
45.0×45.2cm

1923(大正12)25歳

4月、東京美術学校西洋画科を卒業。卒業制作は《裸婦》《自画像》。

8月下旬、渋温泉にて

9月1日、渡欧前の養生のため信州渋温泉滞在中、関東大震災発生。池田家に預けた渡欧準備の荷物は全焼。

11月26日、日本郵船香取丸で神戸から米子・彌智子とともに渡欧。
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築地本願寺での米子との結婚式
1924年

パリ遠望 (1924)

パリ遠望

油彩,カンヴァス
55.3×72.7cm

立てる自画像 (1924)

立てる自画像

油彩,カンヴァス
80.5×54.8cm

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風景 (1924頃)

戸山ヶ原風景

油彩,カンヴァス
50.5×60.5cm

裸婦 (1924)

裸婦

油彩,カンヴァス
60.8×73.0cm

1924(大正13)26歳

1月3日、パリ着。
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クラマールのアトリエ前の階段での佐伯一家

3月、パリ郊外クラマールの借家に引っ越す。

初夏、里見勝蔵とオーヴェール=シュル=オワーズにヴラマンクを訪問、持参の裸婦を描いた作品を「アカデミック!」と批判される。翌日ゴッホの墓を詣で、また医師ガッシェの家でゴッホの作品を見る。

秋から冬にかけてパリ北郊の村々を写生旅行、激しい筆致の作品を描く。

12月、モンパルナス駅南のリュ・デュ・シャトーに越す。

1925年

村の教会堂 (1925)

村の教会堂

油彩,カンヴァス
45.5×61.0cm

パリ15区街 (1925)

パリ15区街

油彩,カンヴァス
54.0×65.2cm

パリ歩道スケッチ (1925)

パリ歩道スケッチ

油彩,カンヴァス
33.6×24.3cm

壁 (1925)

壁

油彩,カンヴァス
73.1×60.8cm

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洗濯屋(オ・プティ・ソミュール) (1925)

洗濯屋(オ・プティ・ソミュール)

油彩,カンヴァス
73.0×60.4cm

酒場(オ・カーヴ・ブルー) (1925)

酒場(オ・カーヴ・ブルー)

油彩,カンヴァス
72.2×60.1cm

レ・ジュ・ド・ノエル (1925)

レ・ジュ・ド・ノエル

油彩,カンヴァス
71.7×59.4cm

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夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)(1925)

夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)

油彩,カンヴァス
80.5×54.5cm

運送屋(カミオン)(1925)

運送屋(カミオン)

油彩,カンヴァス
60.2×72.1cm

ヴォージラールの家 (1925)

ヴォージラールの家

油彩,カンヴァス
65.0×80.5cm

絵具箱 (1925-26頃)

絵具箱

油彩,カンヴァス
45.8×53.8cm

テレピン油のある静物(1925頃)

テレピン油のある静物

油彩,カンヴァス
54.0×65.0cm

人形 (1925頃)

人形

油彩,カンヴァス
41.2×32.2cm

動くポーズ (1925)

動くポーズ

鉛筆,紙
33.2×22.3cm

1925(大正14)27歳

7月、セツルメント(隣保事業)視察のため兄の祐正が来仏。祐正には視察とともに病弱な祐三を心配した母の意向で祐三の帰国をうながす目的もあった。

リュ・デュ・シャトーのアトリエにて、佐伯一家と祐正

ポスターや絵葉書を売る店の前で、ラックの向こうに顔の上半分をのぞかせる佐伯

9月、サロン・ドートンヌに《コルドヌリ》が入選。

1926年

サン・フランチェスコ聖堂 (1926)

サン・フランチェスコ聖堂

水彩,紙
24.5×32.0cm

下落合風景 (1926頃)

下落合風景

油彩,カンヴァス
60.4×72.8cm

汽船 (1926頃)

汽船

油彩,カンヴァス
38.0×45.5cm

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1926(大正15)28歳

1月、佐伯一家は祐正とともにパリを出発、イタリア各地を写生した後ローマで祐正(アメリカ経由で帰国)と別れ、2月8日ナポリで日本郵船白山丸に乗船。
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3月15日、神戸に帰着、4月下落合のアトリエに帰る。

5月、里見勝蔵、前田寛治、小島善太郎、木下孝則と一九三〇年協会を結成、第1回展に滞欧作11点(油彩7点)を出品。

一九三〇年協会第1回洋画展覧会場にて。左から佐伯、小島善太郎、里見勝蔵、木下孝則、前田寛治

9月、第13回二科展に滞欧作19点を特陳、二科賞を受賞。

この年後半から翌年にかけ、姉の嫁した大阪市岡の杉邨すぎむら家を度々訪ね《滞船》などを制作。また、再渡仏の資金集めのため画会を行う。

1927年

オプセルヴァトワ-ル附近 (1927)

オプセルヴァトワ-ル附近

油彩,カンヴァス
54.3×65.3cm

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広告(アン・ジュノ) (1927)

広告(アン・ジュノ)

油彩,カンヴァス
65.2×81.1cm

街角の広告 (1927)

街角の広告

油彩,カンヴァス
80.3×65.2cm

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場末の街 (1927)

場末の街

油彩,カンヴァス
60.3×73.0cm

寺院 (1927)

寺院

油彩,カンヴァス
60.3×73.0cm

靴屋 (1927)

靴屋

油彩,カンヴァス
60.6×73.2cm

1927(昭和2)29歳

7月29日、東京を汽車で出発、大阪・下関・関釜連絡船・シベリア鉄道経由で、8月21日パリに到着。
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一九三〇年協会第1回洋画展覧会場にて。左から佐伯、小島善太郎、里見勝蔵、木下孝則、前田寛治

10月、モンパルナス大通りの新築のアトリエに移る。

荻須高徳、山口長男たけお、横手貞美、大橋了介りょうかいがパリに到着、佐伯を訪ねる。

11月、第20回サロン・ドートンヌに《広告のある家》《新聞屋》が入選。ポール・ロワイヤル大通り周辺で「カフェ・レストラン」の連作。

1928年

共同便所 (1928)

共同便所

油彩,カンヴァス
72.4×59.8cm

工場 (1928)

工場

油彩,カンヴァス
60.0×91.0cm

モランの寺 (1928)

モランの寺

油彩,カンヴァス
59.8×72.0cm

モランの寺(1928)

モランの寺

油彩,カンヴァス
60.3×73.0cm

モランの寺 (1928)

モランの寺

油彩,カンヴァス
50.2×61.3cm

モランの寺 (1928)

モランの寺

油彩,カンヴァス
37.2×44.5cm

街はずれの寺 (1928)

街はずれの寺

油彩,カンヴァス
60.3×72.1cm

納屋 (1928)

納屋

油彩,カンヴァス
60.2×73.2cm

村の風景 (1928)

村の風景

油彩,カンヴァス
50.4×61.3cm

村と丘 (1928)

村と丘

油彩,カンヴァス
60.8×73.0cm

村と丘 (1928)

村と丘

油彩,カンヴァス
58.1×71.7cm

モラン風景 (1928)

モラン風景

油彩,カンヴァス
59.6×91.8cm

カフェ・レストラン (1928)

カフェ・レストラン

油彩,カンヴァス
59.9×73.0cm

煉瓦焼 (1928)

煉瓦焼

油彩,カンヴァス
60.2×73.1cm

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黄色いレストラン (1928)

黄色いレストラン

油彩,カンヴァス
73.0×60.8cm

郵便配達夫(半身) (1928)

郵便配達夫(半身)

油彩,カンヴァス
65.0×54.5cm

郵便配達夫 (1928)

郵便配達夫

油彩,カンヴァス
80.8×65.0cm

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ロシアの少女 (1928)

ロシアの少女

油彩,カンヴァス
65.3×53.5cm

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1928(昭和3)30歳

2月、荻須、山口、横手、大橋とパリ東郊のヴィリエ=シュル=モランに写生旅行。
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イーゼルの前の佐伯と彌智子。左奥は同じく制作中の横手貞美。 モランにて。股の間から顔をのぞかせているのが佐伯、その左から荻須高徳、山口長男、横手貞美

3月、雨天の中での制作がたたり、風邪を引いて寝込む。29日、病床につく。

4月、南仏への転地療養を考えたが病状が悪化。

6月20日、失踪しクラマールの森で自殺未遂。23日、ヌイイ=シュル=マルヌのセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院。

8月16日、同病院で死去。30日、6歳の彌智子がオテル・デ・グランゾムで病没。

佐伯の作品
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