アームチェア コロマン・モーザー

アームチェア

コロマン・モーザー 《アームチェア》 デザイン:1903年, 製作1903–04年頃 彩色ブナ・彩色籘の座 71.5×65.0×66.0cm

作品解説

1903年に開催された第18回分離派展はグスタフ・クリムトの個展となり、エントランスと照明はホフマンによって、また展示空間はモーザーによってデザインされました。本作品と同じデザインによる椅子が最初に登場するのはこの展覧会会場で、座にクッションが置かれた4脚の同じ椅子が認められます。この椅子はその翌年、ウィーン郊外のプルカースドルフ・サナトリウム(療養所)のエントランスホールに6脚置かれます。プルカースドルフ・サナトリウムは、実業家ヴィクトル・ツッカーカンドルによって設立された冷泉療養施設で、建物の設計を手がけたホフマンを中心にウィーン工房が全体をプロデュースした最初期の物件です。ホフマンによるデザインの空間にあって、視覚的効果を重視したこの椅子は、機能性はさておき、ウィーン工房の美学を伝える代表作と言えるでしょう。本作品は、分離派展で使われたものなのか、プルカースドルフに置かれたものなのか、またその両方なのかは判っていませんが、そのいずれかの1脚と考えられます。同じデザインの椅子がウィーンのレオポルト美術館や豊田市美術館に、また同時期の別ヴァージョン、背面と両側面が藤製の椅子はニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。

作家紹介

コロマン・モーザー Koloman Moser 1868–1918

1868年、オーストリア=ハンガリー帝国時のウィーンに生まれる。1885年からウィーン造形芸術アカデミー、1893年からウィーン工芸美術学校に学び、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒやヨーゼフ・ホフマンと親交を深める。1888年の父親の死後、『メッゲンドルファー・ブレッター』等の雑誌にイラストを提供して収入を得ていた。1897年、オーストリア造形芸術家協会(ウィーン分離派)創設の一員となる。分離派の機関誌『ヴェル・サクルム』においてはグラフィックデザインの中心的役割を担い、分離派館建築においてはファサード等の装飾を手がけた。1903年、ホフマンとともにウィーン工房を設立。総合芸術を具体的に市場と生活にもたらす事業に乗り出す。モーザーのデザインは多岐に及び、家具や金工、インテリアやグラフィックと、マルチな才能を発揮した。1905年にクリムトらと分離派脱退。1907年にはウィーン工房を去り、以後その活動の軸足を絵画に移す。1918年、ウィーンにて50歳で死去。

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