スツール オットー・ヴァーグナー

スツール

オットー・ヴァーグナー 《机とスツール》 1904年 彩色ブナ・アルミニウム 
机:109.0×105.0×65.0cm,椅子:47.0×41.7×42.0cm

作品解説

ウィーン郵便貯金局(第1期:着工1904年-竣工1906年、第2期:着工1910年-竣工1912年)はシュタインホーフ教会(着工1903年-竣工1907年)と並んで、建築家ヴァーグナーのウィーン分離派参加後、キャリア後期の代表作です。新しい時代の呼び声に目覚めたヴァーグナーは、1899年のマジョリカハウスやカールスプラッツ駅等のプロジェクトでヨーゼフ・マリア・オルブリヒと、またシュタインホーフ教会の設計ではコロマン・モーザーといった息子のような世代の芸術家と協働します。内面にわき上がる欲求や感情を形にする若いアーティストのダイナミックな装飾を、ヴァーグナーはその着実な仕事と人生の経験をもって受け止め、彼自身が考える実際的な建築物とその空間のなかに着地させます。
こうしたプロジェクトに続くウィーン郵便貯金局は、ヴァーグナーの思想とその具体化がより明確に表われた建築物であり空間といえるでしょう。例えば、建物のファサード上部は大理石造りではなく、大理石のパネルが被膜材として使用されています。ヴァーグナーはこの大理石パネルが被膜材であることあえて正直に知らしめるように、パネルを留めるアルミニウムの鋲の頭を隠さずそのままにしているように見えます。つまり、建築設計においてそのような必要性があったことを、そのままストレートに見せている、と考えることができます。しかし、実際はもうひとひねりが加えられているのです。規則正しく並ぶ鋲は実はアルミ製ではなく、頭の部分だけアルミのキャップが被せられています。鋲の存在は「必要以上に」強調され、これがファサードの装飾となっているのです。必要性に従い合理的であることは、決して一切の装飾を否定することではなく、時代が求める表現の必要をとらえることとヴァーグナーは考えます。新しい素材であるアルミニウムが、新しい時代の表現として活かされています。そして本作品に見られるように、インテリアにもアルミニウムがその存在が際立つように使用されています。

作家紹介

オットー・ヴァーグナー Otto Wagner 1841–1918

1841年、オーストリア帝国のウィーン郊外ペンツィンクに生まれる。現在のウィーン工科大学とベルリン建築アカデミー(ベルリン工科大学の前身のひとつ)に学び、その後ウィーン造形芸術アカデミーに進む。1862年、ルートヴィヒ・フォン・フェルスターの設計事務所に入所。64年に独立し、古典(歴史)主義的な様式の建築物を手がける。ヴァーグナーのキャリアの歩みは、外敵の侵入に備えたウィーンの市壁が環状道路リンクシュトラーセに代わり、それに沿って新古典主義的、折衷的なさまざまな様式の公共施設や邸宅が次々と建設された時代と重なる。しかし1890年代に入ると、時代に呼応する新たな芸術への声が高まり、「必要に従う」合理性が時代の要請として浮上してきた。若き日ドイツで学び、後のモダニズム建築にも影響を与えるシンケルの建築に触れていたヴァーグナーも、これまでの様式的混乱に批判的な立場を取る。アカデミーの教授職にあった1895年には『近代建築』を著し、新しい建築へ向かう姿勢を明確にした。1899年、ウィーン分離派に参加。1905年、クリムトらとともに分離派を脱退。1912年にはアカデミーを退く。ヨーゼフ・ホフマンやヨーゼフ・マリア・オルブリヒら後進に多大な影響を与え、1918年、ウィーンにて77歳で死去。

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