雲上散華之図 村上華岳

雲上散華之図

村上華岳 《雲上散華之図》 1938年(昭和13) 紙本着色 28.8×45.5cm

作品解説

大正14年(1925)の第5回展を最後に国画創作協会から離れ、画壇とも距離を置くようになった華岳は、小品ながら密度の高い作品を制作し、個展を中心に発表するようになります。ここで描かれているのは、蓮華の入った杯を右手に持ち、雲中を飛翔しながら散華する菩薩の姿です。垂髪(すいほつ)と天衣をなびかせながら西方浄土へと誘う菩薩が撒いた蓮華は、わずかに二片、菩薩の下部と後方にそれぞれ見られます。 観者の視線はまるで画の中をゆったり散歩するかのように、モクモクした厚みのある雲から菩薩へと向かい、面貌から手、杯を経て撒かれた花弁へと移り、再び雲を巡ります。
菩薩を挟むようにわき立つ雲には、黄土の地塗りの上にアルミ泥と胡粉、青金泥が施されています。一方、菩薩の宝冠や面貌、手腕は細く鋭い朱線ではっきりと描かれています。さらに髪には藍が注され碧(みどり)がかった色調に見えるほか、淡墨で塗られた体には朱が混ぜられています。このように絵具を複雑に駆使することにより、幻想的で荘厳な雰囲気を醸し出しています。華岳が亡くなる前年に手がけた優れた散華菩薩像の作例のひとつです。

作家紹介

村上華岳 MURAKAMI Kagaku 1888–1939

明治21年(1888)、現在の大阪市に武田家の長男として生れる。本名震一。幼くして両親と別れ、小学校入学時に叔母の嫁ぎ先である神戸の村上家に引き取られ、後に同家の養子となる。明治36年(1903)に京都市立美術工芸学校に入学、明治41年(1908)第2回文展に《驢馬に夏草》が初入選する。翌42年(1909)には京都市立絵画専門学校に編入し、大正2年(1913)研究科を終了。文展入選を重ね、大正5年(1916)第10回文展で《阿弥陀》が特選となる。大正7年(1918)土田麦僊、榊原紫峰らと国画創作協会を結成する。大正12年(1923)芦屋に転居した後、昭和2年(1927)には神戸花隈の旧居に隠棲し、画壇から離れて水墨による山水画や仏画を描いた。昭和14年(1939)に51歳で逝去。

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