赤日浪速人 菅楯彦

赤日浪速人

菅楯彦 《赤日浪速人》 1955年(昭和30) 紙本着色 181.0×64.0cm

作品解説

第11回日展に招待出品された作品で、日本三大祭りのひとつ、大阪の夏祭り・天神祭を描いています。陸渡御と船渡御からなる壮大なスケールで行われる祭りをそれぞれ、画面の上下に配する大胆な構図により表現しています。
画面下部には、大きな夕陽に向かう威勢の良い催太鼓の一行が描かれています。真紅の投げ頭巾をかぶった願人(がんじ)が威勢よく太鼓を打ち鳴らす様子とともに、太鼓を担ぐ男たちの豊かな表情が軽妙な筆致で表現されています。
一方、画面上部には梅鉢紋の入った提灯や旗を掲げた川船が、大きな北前船が停泊する河口に向かう様子が描かれています。真っ赤な夕日の手前には、複数の橋が金泥で描かれるなど、実際には同時に見ることの出来ない情景が一枚の絵に表現されています。なお本作は、楯彦が日本画家として最初の日本芸術院恩賜賞を受賞した際、天皇陛下の御前において披露されました。

作家紹介

菅楯彦 SUGA Tatehiko 1878–1963

鳥取市に生まれる。本名は藤太郎。まもなく一家で大阪に移る。11歳の時、絵師であった父・盛南が中風症で倒れたため、高等小学校を中退して画業に入る。はじめ父の指導を受け、その後は独学で勉強をする。漢学や国学、有職故実、雅楽などの素養も身に付け、歴史風俗画などを手がける。大正末頃からは、近代化の影響で失われつつある江戸時代の面影を残す大阪の風俗を表現するようになる。以後、四条派の写生体を基調に復古大和絵調の色彩を施した軽妙洒脱な画態で浪速情緒を色濃く表現した浪速風俗画を数多く手がけた。昭和27年(1952)大阪市名誉市民章、33年(1958)日本芸術院恩賜賞受賞。昭和38年(1963)大阪市にて85歳で逝去。

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