散華 土田麦僊

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土田麦僊 《散華》 1914年(大正3) 絹本着色 6曲1隻,2曲2隻 6曲:167.0×373.2cm, 2曲:各160.0×177.0cm

作品解説

1915年(大正4)年の4月から5月にかけて、麦僊は奈良に滞在して博物館や古社寺を訪ね、仏像や仏画を精力的に研究します。東大寺で《倶舎曼荼羅》を模写し、興福寺では十大弟子を写生しました。その成果といえる本作は、花筥(けこ)を手にした二人の菩薩が蓮の花弁を撒きながら舞う図を中央に、それを見守る僧侶を左右に二人ずつ描きます。構図は古典的ですが、6曲1隻に2曲2隻という珍しい構成の大作です。その前年まで麦僊は《島の女》(1912年、東京国立近代美術館蔵)や《海女》(1913年、京都国立近代美術館蔵)など、ゴーギャンを強く意識した風俗画を続けて発表しました。本作では一転して画題を日本の古典に求め、伝統美術に依拠しつつも健康美あふれる近代的な菩薩や僧侶の表現に到達ました。6月末頃から下絵に着手し、秋の第8回文展で褒状を受けた作品です。

作家紹介

土田麦僊 TSUCHIDA Bakusen 1887–1936

1887年(明治20)、新潟県佐渡に生まれる。本名金二。1903年(明治36)京都に出て智積院に入るが画家を志し出奔。鈴木松年塾をへて1904年(同37)竹内栖鳳に師事、麦僊と号する。1908年(明治41)第2回文展に《罰》で初入選。1911年(同44)京都市立絵画専門学校を卒業。1910年(同43)黒猫会、翌年仮面会の結成に参加。《髪》(5回展)、《島の女》(6回展)、《散華》(8回展)をはじめ力作を次々と文展で発表。1918年(大正7)村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、小野竹喬とともに国画創作協会を創立、《三人の舞妓》(第2回国展)などを発表。1921年(同10)竹喬らと渡欧、1923年(同12)に帰国して研究所(のちの山南塾)を設立。1928年(昭和3)国画創作協会を解散。翌年官展に復帰して帝展を拠点に活躍するが、1936年(同11)京都市にて49歳で死去。

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