第3回デモクラート美術展 早川良雄

第3回デモクラート美術展

早川良雄 《第3回デモクラート美術展》1952年(昭和27) リトグラフ,紙 53.0×37.2cm

作品解説

大阪で独立してからほぼ10年。グラフィックデザイナー早川良雄は、1961年(昭和36)に東京事務所を開設し、さらにその10年後、大阪事務所を閉鎖。活動拠点を完全に東京に移しました。以来、大阪での仕事を優に超える業績を東京で重ねたにもかかわらず、早川は、大阪の特長をもっともよく体現するデザイナーのひとりとして語られます。「面白さ」や「遊び心」といった大阪の価値観に後押しされた早川の個性は、軽みと「こく」のある色彩、文字とレイアウトに表われる独特で複合的な“間”の感覚をもって、大胆、自由、感覚的と形容されるグラフィックを生みだしました。1951年(昭和26)、瑛九を中心に大阪で結成されたデモクラート美術家協会は、美術家のみならず、写真家や詩人、早川のようなデザイナーと多彩なメンバーを擁し、分野間に垣根のない活動を展開します。創作にかかわる者たちがさまざまな領域を横断して刺激し合う大阪の土壌も、早川のデザインに大きな影響を与えたと考えられます。

作家紹介

早川良雄 HAYAKAWA Yoshio 1917–2009

1917年(大正6)、大阪市北区野田(現在の福島区)に生まれる。大阪市立工芸学校(現・工芸高等学校)図案科で、赤松麟作やバウハウス理念を教育に採り入れた山口正城に学ぶ。大阪三越の装飾部を経て出征。復員後、大阪市文化課に転職するが再徴兵となる。戦後まもなく近鉄百貨店宣伝部に移籍。1951年(昭和26)、デモクラート美術家協会の創設に参加。同年、日本宣伝美術会の結成にも加わり、翌年独立。その後1955年(昭和30)「グラフィック55’」、1960年(昭和35)「世界デザイン会議」と、日本グラフィックデザイン史のマイルストーンに立ち会った。比類なき独創的な世界を展開し、つねに日本をリードするグラフィックデザイナーとして活躍。「形状シリーズ」はじめ展覧会活動にも精力的に取り組んだ。2009年(平成21)、92歳で死去。

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