涼み 北野恒富

涼み

北野恒富 《涼み》1926年(大正15・昭和元) 絹本着色 132.8×85.5cm

作品解説

振袖を着て日本髪に結った女性が、橋の欄干にもたれて夕涼みをしています。川風が吹いて柳の葉が舞い上がり、女性のほつれ髪や袖のたもとが揺らめく瞬間をとらえた作品です。ぼんやりと眼差しを遠い彼方に向けた女性は、白銀調の抑えた色調のなかで、幻夢ともいうべき、柔らかく儚い雰囲気を漂わせます。しかし、その華奢な左手には、観劇の土産でしょうか、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に登場する荒獅子男之助(あらじしおとこのすけ)が描かれた団扇があり、異様な存在感を示すとともに画面を引き締めています。大阪を代表する美人画家として活躍した北野恒富は、大正時代は「画壇の悪魔派」とも称され、頽廃的で妖艶な女性像を描きますが、昭和期に古典主義的な洗練された作風を展開します。《涼み》はその転換期にあたる作品で、線描の美しさが際立ち、気品と形式美にあふれた名品です。再興第13回院展出品。

作家紹介

北野恒富 KITANO Tsunetomi 1880–1947

1880年(明治13)、石川県に生まれる。本名富太郎。大阪に出て稲野年恒に師事。大阪新報社で新聞小説挿絵を担当。1910年(明治43)、第4回文展に《すだく虫》で初入選、大阪を代表する美人画家となる。1912年(大正元)、大正美術会を結成。1914年(大正3)、画塾「白耀社」を開設、再興第1回院展に《願の糸》を出品。1915年(大正4)《暖か》(第9回文展)以降は文展を離れ、日本美術院で活躍する。1915年(大正4)の大阪美術展覧会の創設、1918年(大正7)大阪茶話会の結成に参加するなど、大阪画壇の中心を担う。戦後は1946年(昭和21)、再興第31回院展に《関取》を出品。1947年(昭和22)、大阪府中河内郡にて67歳で死去。

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